Entrevue[s] において、セイソン&ベネティエールは、「窓」という親密でありながら深い主題をめぐって、ウィルフリッド・アルメンドラ、ピエール・ビュラリオ、オレリー・ペトレル、デイヴィッド・ラフィニの作品をルクセンブルクにて対話させることを喜びとしています。
「Entrevue」という語は、作家たちの出会い、共通のモチーフをめぐる交換を意味すると同時に、「entre-vue(あいだに見えるもの)」──すなわち内と外、二つの空間のあいだで垣間見られるもの──をも指し示します。こうして窓は、共有された主題であると同時に、視覚が成立する場となります。
レオン・バッティスタ・アルベルティは、絵画を「開かれた窓」と定義することで、この開口部と二次元の視覚芸術との類比を打ち立てました。このトポスは、西洋におけるイメージ制作の根幹をなす概念です。すなわち、画面という四辺形――表面から切り取られたこのフレーム――が比較の基盤となり、可視性の空間を組織します。可視と不可視、私的領域と社会的領域のあいだに位置するインターフェイスとして、窓は光を導き、視線を方向づける一方で、時に盲目的に閉ざされ、自らのディスポジティフのみを指示する閉じた表面としてとどまることもあります。
ウィルフリッド・アルメンドラの作品において、窓はまずその構成要素の存在を通じて現れます。とりわけ《Model Home》や《Sonatas》といったシリーズでは、ガラス、金属、枠組みといった建築環境の語彙を用いながら、窓を本来の機能から逸脱させています。視覚的に風景へと開かれるのではなく、これらの作品は、フレームの厚みの内部に組み込まれた要素や物によって構成される、イン・シトゥの風景を露わにします。これらのオブジェは象徴的に機能し、窓の向こう側、すなわち親密な領域と隔てられた社会的世界を指し示します。アルメンドラはこのように、絵画を「ガラス板」と捉えたレオナルド・ダ・ヴィンチの概念を再活性化させます。そこでは二つの現実が透明な表面上で接続されますが、本作においてこのガラスは虚構の彼方への通路ではなく、二つの世界が行き交うその閾そのものを露呈させるのです。
窓を具体的なオブジェとして捉えるこの探究は、1970年代半ばに始まったピエール・ビュラリオの《Fenêtres(窓)》シリーズにおいて直接的な反響を見せます。ビュラリオは建設現場から回収した窓枠を用い、枠組み、蝶番、使用の痕跡といった構造的要素を、青や透明のガラスと組み合わせ、自律した作品として提示します。大工の身振りとガラス職人の身振りがここで交差します。これらの建築的断片が開く先にあるのは、自己の構造以外のいかなる風景でもありません。それらは、自ら以外のどこにも通じない盲目的な開口部として、フレームそのものが主題であることを主張します。張りつめたガラス、鋭利な切断面、青と緑の対話は、マティスやフィリップ・ド・シャンパーニュの《磔刑》を想起させます。ここで窓はもはやモチーフではなく、枠取り、切断、視覚といった問題が反復される、近代絵画に固有のオブジェ=ディスポジティフとなるのです。
この「窓=オブジェ」に対応するのが、オレリー・ペトレルの作品における「窓=イメージ」です。写真史は文字通り、一つの窓から始まります。1826年、ニエプスが自宅の窓越しに撮影した眺めがそれです。写真は、現実を切り取る四辺形として機能し、光、時間、空間を組織する閾となります。ペトレルの作品は、この系譜を拡張し、撮影された場面そのものが開口部を含むディスポジティフや、逆にイメージの構造がそれ自体が枠取る窓を反復する装置を複数化します。こうして写真は、保持され、反復される世界の断片としての「あいだ」となり、窓は同時に主題であり、装置であり、ミザン・ナビームとして立ち現れます。
この対話は、デイヴィッド・ラフィニの絵画においてさらに継続され、窓は知覚的かつ記憶的な経験となります。彼が用いる折り畳まれ、皺寄せられ、引き伸ばされた布は、絵画表面を膜、カーテン、あるいは開口部へと変容させ、窓越しに一瞬垣間見られる風景の儚さを想起させます。絵画はこれらの知覚をテクスティルの物質性のうちに定着させ、網膜に刻まれる感覚のように、一過性の襞を持続的な記憶へと変換します。ラフィニの作品において、モチーフはあくまで口実にすぎません。ドラが指摘したように、「絵画それ自体がその主題なのです」。窓は、表面と奥行き、ぼやけと明瞭さ、抽象と具象が交差する知覚の閾となります。同時にそれは時間の窓でもあり、アトリエにおける注意が身振りと光のうちに結晶化する、宙吊りにされた瞬間なのです。
