9月3日から10月10日まで、パリのセイソン&ベネティエール Ceysson & Bénétière にて、アーネスト・ブレルール Ernest Breleur の初個展が開催される。
Ernest Breleur : Traverser le vivant
セイソン&ベネティエールで開催される本展は、回顧展的な広がりを持つ初個展であり、現代美術の先駆的アイコンであるアーネスト・ブレルールの軌跡を浮き彫りにする。エドゥアール・グリッサンやパトリック・シャモワゾーらの思想と深く結びついた visual thinker(視覚的思考者)であるブレルールは、数十年にわたり、芸術的探求が哲学の本質的な原動力であることを示してきた。最初の呼吸と最後の呼吸の間に横たわる形而上学的な緊張を探りながら、作家はこの始まり、この終わり、この旅路、そして生が止まったときに残されるもの——痕跡、残滓、存在の刻印——を問いかける。
L'Origine du monde(2013年)や L'Énigme du désir(2014年)の連作において、ブレルールは生への移行を讃え、クールベの傑作が本来持っていた意図を取り戻す。ここでは、裸体はもはや視覚的 scopique なものではなく、母型的 matricielle なものとして、その生成の衝動の中に捉えられている。フェルトペンによる線は、マティスの簡潔さやシャガールの軽やかな抒情性を思わせ、作家は巨匠たちを呼び起こす。浮遊する身体は円環状の動きの中で連なり、人類が収斂する儀式的な舞踏を形作る。これらの円形画面(トンディ)は、生とその移ろいを讃えるものである。ブレルールはこの博識の中心をずらし、あらゆる多様性を持つ存在が集う水平的な宇宙生成論を打ち立てる。
この最初の呼吸に応答するのが、消失への移行であり、身体の裏面である。1972年、絵画という媒体から一時的に離れたことを契機に、レントゲン写真が新たな素材となり、半透明性の美学が生まれた。Série des Marilyn(2010年)や Portraits sans visage においても同様に、ブレルールは堆積の手法によって制作する。医療画像をコラージュし、シルクスクリーン印刷された紙をホチキスで留めることで、彼は「反=肖像画」を作り上げる。肉が骨へと移り変わるにつれ、理想化された美の消えゆく様が明らかになる。この身振りは、この探求が始まってまもなく発表されたパトリック・シャモワゾーの『La Matière de l'absence(不在の質量)』と呼応する。ブレルールは空虚を物質化しながら、マリリン・モンローやアンディ・ウォーホルのような一部のイコンが、自らの肉体的消滅をはるかに超えて、私たちの集合的記憶の中に生き続けていること——彼らは残り続けるのだということ——を思い起こさせる。
セイソン&ベネティエールでの本展は、単一の媒体やレッテルに囚われることを拒み、後続世代の作家たちに道を切り開いてきた、比類なき技術的自由を持つ作家を讃えるものである。
これらの象徴的な連作を一堂に集めることで、ギャラリーは、形式的な美しさと厳密な知的深さが手を携える、本質的な旅を提供する——それは、世界を自らの特異性を中心に再構築することを恐れない、唯一無二の視座である。
Salimata Diop, 2026










